からだとあたまからこころまでほぐす、セラピストAsacoの日々の徒然。

からだとあたまからこころまでほぐす、セラピストAsacoの日々の徒然。
こころがちょっと疲れた時に、からだが不調を感じる時に。
ひだまりのようなひとときを。

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2014年10月29日水曜日

ぶれてもいいんだ。



自分の感性に自信が持てなくて、
自分の芯がしっかりしてなくて、
いろんな事に揺れたり、ぶれたりすると、
ああ、あかんなあ、とか落ち込んだりもするけれど。

でも、なんか、ふと。
ぶれてもいいんだ、と思った。
ぶれちゃったりしちゃうのは、
「ワタシのココロ」が揺れやすいだけ。
ココロはそもそもそういうもの。
ココロは外からの刺激を受けると、ころころ、ころころ揺れるもの。

でも、きっと
その、根っこの根っこの「ワタシ」には、
揺れても、ぶれても、何しても、
どーんと、鎮座しているものがある。

ワタシの中にも、アナタの中にも、
好きな人の中にも、嫌いな人の中にも、
誰にも、その鎮座しているものがある。

それを、ある人は「魂」というかもしれない。
「神」というひともいるだろう。
それとも「愛」と表現されるものか。
いづれにせよ、そこに、それはちゃんと、ある

だから、ぶれても大丈夫。
ぶれてもいい。
ぶれるたびに、きっと、
その奥にあるその芯に、
すこしづつ、触れることができるようになるのだと、思う。

2014年10月28日火曜日

調香会に参加して。

最近、精油の成分面から見た作用でなく、
そのエネルギーとか、感覚的な、スピリチュアルなものを学んでみたいと思い、
まずは自分の感覚を磨こうと、「調香会」なるものに参加。
香りの調合の仕方を学ぶ、というよりも、与えられたテーマで選んだ香りを通して、自分の内面を知る、という内容。

嗅覚で捉えた感覚的なイメージを表現することの難しさや、
同じテーマでも、人によってイメージも、選ぶ香りも違うことが、とても楽しかった。

香る、という嗅覚に集中して、イメージを言葉にするって、
奥深く楽しいくて、すごく頭を使って、
終わった後すごく疲れたことに気づいた(笑)
表現力を鍛える練習になるなあ、と思う。

一方で、セラピスト的に感じたことがひとつ。
「香りをどう感じるか、実際に言われる作用が、
皆に当てはまるとは限らない」と伺い、
それは、間違ってはいないんだけど、
その感覚のみで選択するというのは、セラピストとは違うんだな、と感じた。
「調香」においては、香りに対する感覚・感性が絶対的なので
もちろん、その選択になるのは当然だし、良いと思う。
この違和感はあくまで、「アロマセラピスト」として感じたところかな。
(最近、精油の成分作用を考慮せずに扱ってるような情報が、
目に付く機会が多くて、ちょっと敏感になっているのかもしれない...)

精油の香りは、人によって感じ方が違うこと、
好きか嫌いか、ということは、確かにとても重要な要素。
でも、科学的根拠に基づく作用や働きだって、大切だと思う。

精油は、感覚的に選ぶだけものだけではないし、
成分だけで選ぶものでもない。

エネルギーや、好み、感覚だけで精油を捉えるのは、
精油のひとつの側面しか見えなくなってしまうのではないか、と思う。

例えば、現実的な痛みを取り除きたい時には、
痛みを緩和する作用がある、という知識や要素を取り入れられれば、もっと、
その精油を生かすことができるのではないかと思う。

香りが良いなあ、と思って選ばれた精油は、大抵、
その人にとって必要な作用を持つ精油ではあるのだけど、
もし、その人自身が、選べない状況にあったらどうするのか?

どこで、どんな人に対して使うか。
用途によって、何を重要視するかが変わる。
精油のいろんな側面を知って、
その人にとって最適で、納得のゆく香りを選択してもらえるよう、
サポートできるアロマセラピストになりたいなあ、と思う。
その、知識と感覚を持つには、ずっと勉強と、もっと経験が必要だけど。

思わぬところで、アロマに対する自分の考えを、確認する機会になりました。


あ、調香会は、そんな自分の感覚を発見する新鮮さも含めて、また行こうと思ってます。

2014年10月23日木曜日

「アムリタ」

アムリタ


吉本ばななさんの「アムリタ」を読んでいる。

どこかのココロの記憶の隅に、ずううっとひっかかってた本。

最初の数行を読み始めた時、これはなんだ、と思った。

歳の離れた弟。そして、妹。突然の死。
ある出来事をきっかけにできてしまった、
わたしとわたしの記憶の間にあるもの。

設定は違うけど、主人公のきょうだいの構成や、
シチュエーションが、妙に自分とシンクロする。
ボタンを掛け違えたパジャマを着たまま、夢を見ているようだ。
奇妙な感覚。

胸かどこかがつっかえるような、懐かしさがまだ切ないような、
泣きたいような気持ちになる。
このまま読みすすめたくないような気持ちと、
ずーっと読んでいたい気持ちとが、
相反する。

吉本ばななさんの文章は、やさしくてせつないあたたかさが、
奥底に横たわるかなしみをつつんでいる感じがして、
じわり、じわりと胸にくる。

文中でも、亡くなった妹を思い出させる本を探すシーンがあったように、
主人公と弟のやりとりを読んでいるうちに、
弟が幼かった頃の思い出が浮かんでくる。

小学校3年の頃、弟が親の財布からお金を盗んだ事があったっけ。
確かその時は、祖父の葬式があって、ばたばたしていて、
誰も構ってあげられなかった頃だったな、とか。

ワタシが学生の頃、親の代わりに弟のキャンプについていったよな、とか。

ぽつぽつと、思い出す。

この主人公に、ワタシ自身を重ねている。
こんな風に本を読む感覚は、初めてだ。

多分、少し前に手に取っていたら、苦しくて読めなかったし、
もっと前では、この本のから読みとれるものは少なかったかもしれない。
今だから、読める本。今だから、読み取れるもの

出会うべくして出会うものは、しかるべき時を選んでやってくる。
そんな気がする。

2014年10月22日水曜日

アーユルヴェーダ講座にて。

アーユルヴェーダの初級認定講座をただいま受講中。

アーユルヴェーダの基礎から応用までの知識は、
ひととおりヨガの先生(アーユルヴェーダセラピストでもあるAratiの和代先生)から習ったのだけど、
違う先生、しかもアーユルヴェーダのDr.から教えていただくことで、また違った視野が広げたいと思ったのと、
アーユルヴェーダの知識をきちんと自分のものにして、
誰かに伝えたり、アドバイスできるようになりたいな、と思って、今、神戸アーユルヴェーダの浅貝先生から学んでいます。


先生の授業を受ける度、毎回、違った気づきを得られます。

アーユルヴェーダの知識を学ぶことを通して、
あるいは、先生の経験に基づいたお話から、
ちょっとした言葉が、アーユルヴェーダの学びだけにとどまらない印象を残してゆかれるのです。

何千年も前から、変わらない教え。
現代まで、同じ一冊の教科書で、学び続け、現代まで受け継がれている、その普遍性。その重みへの、感動と畏敬。

慈愛がないと、アーユルヴェーダとは言えない、ということ。

アーユルヴェーダは、健康=幸福であると定義していること。

幸福な人生、有益な人生とは何か。

家族のありがたさ。

祈りのパワー。

人は何かを持っていて、何かを持っていない、ということ。

書物の知識よりも、経験で得た知識をより重視していること。


そして、アーユルヴェーダは、常に、
自分の内面と対話することを教えてくれている。

自分のこころとからだに耳を傾けて、自分が、どんな状態かを注意深く見ること。
まず、その感性を育てること、丁寧に見つめられるようになることが、
書物の知識を、経験知識へと変える一歩なのかなあ、と思う。

あと2回。


楽しみながら、吸収しよう。



2014年10月19日日曜日

ギフト

この前、何気なく、手を見たときに、

この「手」があることへの、ありがたさが沸き上がって、じぃん、とした。
誰かを慈しめる、何かを生み出す、祈ることのできる「手」があることに。

昼下がりに外出していて、
ぽかぽかの日差しを背中に感じたときに、ふと思った。

手、だけじゃないや。
もっと、素晴らしいものを与えられている、ワタシ。

手があることのありがたさを感じることもそうだし、
今、ここで受けるあたたかい日差しや、ひんやりとした風を受け、
木々の緑や、抜けるような青空を見たときに、
素敵やなあ、きれいやなあ、しあわせやなあ、

と、そういうふうに感じられること。

その「心」があること。

それは、生まれた時から、既に与えられているもの。
皆に平等に与えられる、すばらしいギフト。

そのギフトを、どう扱うかは、自分次第。
自分の中に、既に、常に。
しあわせは宿っているんだ。




久々にホリコミへ。

少し日にちは前後するけど。


台風が関西に来ようかという前日に、
ホリスティックコミュニケーション実践セミナー(通称ホリコミ)に、
行ってきました。
今回は再受講。久しぶりです。

最初に受講したのは一年前。
アロマセラピーを行なう際、最初にお話を伺うのだけど、
その時に役に立てるようなコミュニケーション法を学びたくて。
以前、このセミナーの講師である黒丸先生が、
アロマスクールの授業の一環で、このコミュニケーション法の
概要を教えてくださったことが、ずっと頭にあったのです。

これは、修了証をいただいた時の写真。

このコミュニケーション方法のベースとなる考え方は、
「誰でも皆、自分自身を癒す力を持っている」ということ。
その力を発揮できるきっかけを引き出す会話力を
身につけることを目的としています。
(その「きっかけ」を先生は「心の治癒力のスイッチ」と云っておられます。
も出されてます〜)

建設的な会話が生まれるので、普段の日常生活や、企業でも
役に立つので、セラピストやケア従事者だけでなく、
会社員も、主婦の方にもおすすめ。

そして、その学びには、もうひとつの作用があります。
それは、そのコミュニケーション法を学んでいる本人の、ものの見方が変化すること。
この手法は、質問者自身の、ちょっとした考え方のクセを変える事が必要なんですが、
そのクセを直す練習 しているうちに、「出来ている事」に目が向くようになり、
そうすると、出来そうな事を考えていけたり、
前を向いて物事を捉えられるようになったりするのですよ。

ワタシも実際、セラピストとしてよりも、日常生活の中や、
普段の考え方に役立ったりしています。
今まで問題と思っていたことが物理的に問題じゃなくなったり、
いわゆる「引き寄せ」みたいなことも起こったりしたけど、
それは、その物事の捉え方が変わったからっていうのもあるんじゃないかなあ、
と思ったり。

昔は、結構深く落ち込んだり、マイナス思考スパイラルに陥ってたことがあって、
そんな自分がしんどかったのです。
でもそれから、
「ネガティブな思考になったって、それはそれでいいやん」と、
その思いを表現してみたり、しっかり向き合ったりするようになってました。
ところが、最近。
気づけば、ネガティブなこと自体、思いつかなくなってる自分がいたのです。

それは、このセミナーのお陰…もあるけど、
この学びも含めて、
ヨーガやヴェーダの教えだったりとか、
アロマを通して勉強してきたこととかが、
経験を通して、ちょっとづつ蓄積されてきたから、なのかも。

とはいえ。
別にポジティブであれ、と必要はないと思ってます(笑)
そうしよう、と頑張っちゃうのは、かえって疲れるやん。
ネガティブな時は、ネガティブで、アリだと思うのです。
影がないと、光がそれとわからないように、ネガとポジは表裏一体。
そもそも、ポジティブが良いとか、ネガティブが悪いとか、
判断しているのは、誰かっていうと、
色んな色眼鏡をかけている、私の心、なのですから。

2014年10月13日月曜日

ワタシがここまで来れた意味

玉置神社から

弟が亡くなった時、それまでいた世界と、
それ以降の世界は大きく見え方が変わってしまった。

今でも、弟の死以前、以後、という感覚はどこかに残っているけれど。
それを受け止められるようになった、と思う。

これはカルマ(業)だよ、とか、
いつも魂は側にあるから、とか、
本で読んでも、誰かに聞いても、
拒否したくてたまらなかった感情から、
少しづつ、少しづつ、
それを受け入れられるようになった。

そういうのは、時の流れしか、修復出来ないものではあるけれど、
思っていたより、早く前を向けられるようになったのは、

ワタシのありのままを、受け入れてくれた周りのおかげ。


沖縄で、やさしく見守ってくれた海辺の木々。
悲しみを伝え、支えてくれた家族。

そして、今までの学びや経験...
過去の喪失体験。
ホリスティックアロマを勉強していたこと
グリーフケアについて触れてきたこと
ヨーガやアーユルヴェーダの学びを通して得た、
この世界の理。

彼は、多分この世で与えたものを与えきったから、
この世の肉体から離れてしまったのだろうけど、
思えば其処此処に、見出すことができる。

その人に与えられた試練は、魂の成長の為に。
向き合い、受け入れることが出来る者であるから、
与えられたもの。
そう思えるようになった。

そして、ワタシが彼から得たものを、
どのようにして還してゆけばよいのか。

ワタシのダルマ(この世で行なう使命)や、
カルマ(無私の行い)についてを、
思いながら、これからを生きてゆこうかな、
と思う。

楽健寺酵母でパンづくり。


先々月のこと。
「ひなたぱん」のあゆみさんのところでパン作りを習って、
そこで楽健寺酵母をおすそわけいただいていたのです。
それからじっと冷蔵庫で眠っていた楽ちゃん(←酵母の名前)。
一ヶ月半経って、ようやっと、活躍させることができました(喜)。

予定が無くなってぽっかり空いた休日に、おうちで初めてのパン作り。
(いや、実は初めてではないんですけどね...
高校生くらいの頃、挑戦して、すんごい失敗してからややトラウマで、
ずっと作らなかったのです...)

楽ちゃん、ちゃんと働いてくれるかなあ、とか。
水分量ちょっと間違ったりして、わくどきを抱えながら、
パンをこねこねしていたら、相方に「変な顔」と笑われる。
どうやら必死の顔になっていたらしい。
きゃー、パンづくりには笑顔が大事と教えてもらったのに。
肩の力を抜いて、笑顔でにっこりしなくては。
作っている時の気持ちが酵母に伝わるのです。


そんな不安も、必死さも、しっかり受け止めてくれる元気な楽ちゃんのお陰で、
まんまるパンが無事焼けました♪
塩麹を塗ったパンはちょっと焦げたのもご愛嬌。
ピザパンには、HITOSAJIさんのプレオープンの時、
お土産にいただいたトマトソースに、基本の重ね煮、バジルとチーズをトッピング。

ちょっぴり緊張が感じられる味になったけど(笑)
相方も美味しいと言ってくれる、ふわもちな焼き上がりに。

酵母は、にんじん、長芋、リンゴ、ごはんをミキサーにかけて継ぎ足し。
こちらも無事にできて、一安心。


今度はどんなパンを作ろうかしら、と楽さん酵母と一緒に膨らむパンの夢。

2014年10月12日日曜日

初眼診


神戸岩茶荘というところで、店主に眼診をしてもらえると聞いてから、
ずっと興味があって、先日予約して、やっと行ってきました。

眼診とは、眼(主に白目の部分)だけを見て、
その人の身体症状や性質を診る、というものです。
(中国やインドでは舌診や脈診などがありますが、あれの眼版というのでしょうか。)

楽しみ、といいながら実は、ちょっとドキドキ。
というのも、もし、症状が重かったりして、
「うーん…」って言われたらどうしよう、って思っていたのです…

…その懸念が見事にあたり、見終わった後、「うーん…」と言われました^^;

(以下、備忘録的長文)
まず言われたことは、血液の流れの悪さ。(…ドロっとしてるということ?^^;)
そして、呼吸の浅さ。それが、血流を悪くし、首のコリ、背中(肩甲骨)の硬さに繋がっている。
あとは、胃、小腸、大腸、の冷え。
子宮も冷えてており、ホルモンバランスが崩れやすい状態。子供は無理かもと。
体の熱が皮膚表面の方に集まってて、皮膚に炎症を起こしやすい。
副鼻腔、気管支、肺が弱い。脳を使いすぎ。
血中コレステロールが高い(黒目と白目の境の透明なカタマリで判断)。

性格的な面では、最後までやりとげないと自分で気がすまない、許せない方。
集中すると飲み物を飲んだりトイレに行くのを忘れる程になる。
(自分に対する)怒りというよりも、なにかやるせないようなものがあって、
自分の居場所(家)に帰ると、どっとしんどくなってやる気がなくなったりすると。

なかなか鋭い指摘。
アーユルヴェーダの体質的に乱れているところも、合致しているので、
ある意味予想通り、ではある。
印象としては、元々持っている身体の弱さも指摘された、という感じもあるかな。
性格的な面でも、ドキッとすることが。
昔、相方に「本を読んでるとまばたきしてないからコワイ」
と言われた事があり。
集中すると、生理機能忘れる位、没頭するらしいのですよ…

眼をみるだけで、これだけの事が読める、店主の見立てが、スゴイ。

陰陽五行に基づいて分けられた色のタイプは「白」。
(全部で5色。青(木・肝)、赤(火・心)、黄(土・脾)、白(金・肺)、黒(水・腎))
そして、お茶は「桃紅梅」というお茶を選ばれました。
お茶の入れ方を教わりながらいただく。
首〜肩のあたりが、こころなしか緩まった気が。


日常生活ですすめられる事は、
2時間に1度くらい休憩して、深い呼吸を意識すること。
5〜7時は、山からの気をもらえる時間なので、その時にヨガや体操を。
身体を温めるために、腹巻したり、お茶もいいけど、もっと即効性のある漢方が良いと。

しかし…「サンプルにしたいぐらいの目」てことで写真までとられて、
店主に心配されるほど気遣いの言葉をいただき、
血液循環の為にと、漢方をすすめられ(お茶やさんなのに)。

流石に、ちょっ凹みました。
ヨガにアーユルヴェーダにと、呼吸の大切さや体質にみあった生活の仕方を教わって、
アロマでもお伝えする機会があるというのに。
灯台下暗し。
最近、色々と忙しい、という言い訳で、
そこらへん、出来てないのなあ、と思ってたところを指摘された感じ。

でも、こんだけの症状を書きだして冷静に見ると、
それだけ頑張ってるんだね、ワタシのからだと、こころ。
まだ症状が病として表面化しないうちに、
「もうちょっと大事にしてね」のサインをいただいたのかな。
アーユルヴェーダの先生にもそんな指摘の診断をされてたし、何よりも身体が予感してた。

まずは、呼吸を深く。これを日々意識しよう。
そしてもうちょっと、ヨガ(アーサナ)の時間を作ろう。

そうやって、気づく機会をいただいた、ということ。
この忙しいと感じている時期に眼診したのも、
それが必要な時だったから、なのかもしれない。

2014年10月9日木曜日

満月瞑想会〜やさしい余韻

HITOSAJIさんのプレオープン。
満月ということもあって、瞑想会が開催されたので行って来ました。
月食というスペシャルなおまけつき。

以前長年通っていたYOGA教室の仲間がたくさん来ました。

お披露目いただいた教室は、たくさんの植物達が出迎えてくれる、本当に素敵な空間。

yoshieさんの透明感のある声が、穏やかに、自然に瞑想へと導いてくれました。

その後は、軽くおつまみと乾杯、そしておしゃべり。


…って全然軽くないよー。とってもスペシャルでこころのこもった料理たち。

皆それぞれに、困難な事や、チャレンジなことがあるけれど、
それらと真摯に、正面から向き合って、気づきと成長を得ている、素敵な仲間たち。
そんな皆とのおしゃべりは、本当に安心してオープンに、自分の気持ちをシェアできる。

参加した方のおひとりが、
「ここに集う人たちも、来れなかった人たちも、こうやっている事も、全部必然」
とおっしゃってたけど、
本当に、この日集った方々がこの空間を満たしてくれた、このあたたかいエネルギーは、
その日、その時、その場に集まった人たちでしか作れないもの。
どれかひとつがちょっと違うだけで、また違う空間が生まれる。


これからも、その時、その瞬間にある「今」を感じとっててゆけたらいいな。

そして、こんな素敵な場所で、アロマトリートメントを行なう機会をいただけたことが、本当にありがたい。


やわらかくて、あたたかな余韻を感じながらの帰り道。
ふと見上げると、月食が終わってぴかぴかの満月。



2014年10月7日火曜日

はじめまして


はじめまして、こんにちは。
Asacoと申します。
こちらのブログにお越しいただき、ありがとうございます。
このたび、神戸元町にある、YOGA教室・HITOSAJIさんのところで、
アロマトリートメントをおこなうこととなり、あらたにブログを立ち上げてみました。
こちらのブログでご予約状況などを、確認していただけるようにしたいと思います。
また、日々の出来事や、感じたことなど、ぽつぽつと書いてゆきますので、
時々のぞきにきてくださると、うれしいです。