からだとあたまからこころまでほぐす、セラピストAsacoの日々の徒然。

からだとあたまからこころまでほぐす、セラピストAsacoの日々の徒然。
こころがちょっと疲れた時に、からだが不調を感じる時に。
ひだまりのようなひとときを。

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2014年8月26日火曜日

未来は今。

未来は今。
って、映画のタイトルはあったなあ(未見)。

「未来」は瞬間、今になり。
「今」は瞬間、過去になる。

歩いてる時にふと思いついたフレーズ。
そして意識を「歩く」に向けてみると、なんとも不思議な感覚になった。

歩こうとしている意思は未来に対してだけど、
歩んだ瞬間、その足は過去の意志によるものになる。

未来をどんどん過去に変え、
過去という足跡を大量生産している。

未来と過去ばかりに人の考えが揺れがちなのは、
「今」という瞬間を、捉えることが本当に難しいから。
だって「今」を感じるその瞬間、瞬きひとつする度にそれは既に「過去」なのだから。


「今」という瞬間に生きることを、捉え続けてゆけば、
いつか、それは永遠に繋がるのかもしれない。

呼吸に集中すると、「今」の自分の内面に入り込んでいけて、
そのうちのほんとたまに、もっと内面にアプローチできることがあって、
ふうっと、自分の身体と周りとの境界がなくなってしまったかのような、
そんな感覚に陥ったことが、ある。
あの感覚って、永遠に繋がる、ていうのに近いんじゃなかろうか。
まあ、そんな感覚めったにないけどね。


瞬間は、未来であり、今であり、過去であり、
そして永遠。

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っていう文章を書きしたためていた、先週。

そして、週末に学んだヴェーダンタ勉強会にて、
先生が、「永遠」について語られまして。

その教えは、私が感じて書いたことに、
呼応するかのごとくの、答えがあって。

なんか、すごいなあ、このタイミング。
何かに導かれておるのか。おるのだろうな。
数年前に、同じこと聞いても、掴み損ねてただろうな。

求めているものとは、
出会うべくして出会うもの。

そして、受取る感性が、充分に準備できていたからこそ、
そう思えるのだと思う。

2014年8月23日土曜日

2012年9月26日〜役割への責任、裏腹な思い

両親、特に母が心配。
セラピストが本業なら、こんなに休むことはできないし、仕事は仕事で割り切っていかねばならない、
とか、ちゃんと立ち直らなくちゃと思う。
でも自分自身の精神的な不安定さも感じるし、この状態でアロマセラピーを行えるのかどうか、
自分でもわからない。
一方今はもっと身近な両親のケアをしなくては、と思う。
弟とはいえとてもしっかりしていて、長男として自覚をしていたみたいだし、
すっかり安心していたけれど、
その彼がいなくなった今、、長女として親を支えなければならないと思うし、妹を励まそうと思う。
そして、他のセラピストは、どんな悲しみの中でもしっかりやってきてるひともいるのだろうし、
そう思うと、セラピストの仕事を休むのも、ただ自分が、甘えているのではないかとも思うし、
ちゃんとやっていかなくちゃ、とも思う。
でも、ワタシが弟を喪った悲しみを、どこで吐き出せばいいのだろうと思う。
もちろん、だんなさんがいて、そこで支えてくれていて、吐き出せる場所はそこにあるのだけど。
ずっとそうしていたら、だんなさんに申し訳ない。
ただひたすらに落ち込んで、沈んで、悲しみにくれても仕方ないと思うのだけど。
思うのだけど、もうどうしようもなくその悲しみに浸りたい時があって、
それは限られたわずかな一人の時間だけで、でも一ヶ月も経てばその悲しみに浸るのもあかんのかな、と思う。
時間に縛られずに浸りたい時もない。
なんてことを考えていると、一人でいる時、しんどくて何もやる気がでなくなる。
いろんな欲も今なくなっている。
美味しいもの食べに行きたいとか、服がほしいとか、勉強したいとか、アロマを広げたいとか、そゆのも。
ただ、親より長く生きなくては、と思う。
あと、弟がなんて言うだろうと思うと、「そんなんでへたれてたらあかんやん」と言われそうな気がするので
頑張らなくちゃ、と思うときもある。
そんな風に感情が揺れ動いていること自体、精神的に不安定なんだな、と思う。


腰、背中から肩が、今までにありえない位がちがちでしんどい。
後頭部がどくどくしている感じのときも。
時々動悸がはげしい。怖いくらい「どくん」とする時がある。
血圧は高めになっている。大分ストレスがかかってきてると思う。

2012年10月前半〜不安定な感情

2012年10月の日記。
10/1
外に何とか出よう、と以前から約束していた友人達と良く行くお店で外食。
妙にはしゃぎすぎ、テンションが変で、言葉の端々に弟の死を隠したいけど隠しきれない様子が、夫には見て取れたようで、後で指摘される。
でも、どうしようもないではないか。まだひと月も立って無いのに。隠すのが苦しい位なのに!

10/3
泣くと、少し前向きになれる。
だが、「〜したい」という気持ちや欲は希薄。

10/4
私の事情を知っている先生に、アロマセラピーを受ける。
ローズとフランキンセンスで、神経が緩んで涙が出そうになるの感じるが、緊張は中々取れない。いつもならすぐ寝てたのに、今回はトリートメント後半まで意識あるまま。
でも弟が亡くなって初めて、弟のことを考えない無の時間が持てた。

10/4
ヨガに行ってみる。でも悲しみの感情をひととき閉じて、自分と向き合うまでにならない。悲しみが、ずっと心にはりついている。

10/9
弟と、次会った時、一杯色んな話が出来るように。
胸はって「あんたの分まで生きてきたよ」と言えるような、そんな生き方が出来るように。

10/10
弟が、一番悔しくて、やりきれないんじゃないかと思う。
でも、優しかったあの子は、自分の悔しさよりも、「みんな、ごめん」と言っているような気がする。「急に死んじゃって、ごめん」て。
だから、私達が悲しめば悲しむほど、弟は辛くなるんじゃないかと思う。
だから、今日は彼の写真の前で、「気にしないでね、良いんだよ」とつぶやいた。

2014年8月21日木曜日

2012年9月後半〜気力の喪失

弟の葬式後。
勿論、忌引後は普通に会社に行って、仕事をした。
弟が亡くなった事は、ごく一部の人にしか知らせていなかった。
それを知っている人は、さりげなく、あるいはものすごく気遣ってくれて、実はご主人を亡くされている方がその時の辛さを話してくれたりした。
「ああ、私だけではないのだな」と頭では考えるのだけど、
心がついて行かない状態。
勿論弟を亡くした事を知らない人もいて、それはあまり周りに気を使わせたくない、自分の意思なのだけど、普通に振る舞うのは、やっぱりかなりエネルギーが要った。
毎朝、感情を固めるイメージで、揺れないように、と言い聞かせて行っていた。
会社帰り、車窓に映る自分の顔に、全く表情がない事に気付いた。

現実逃避ゆえか、死んだように眠る夜。
一方で、睡眠に罪悪感を感じる日々。弟を喪ったばかりなのに、悲しみにくれることなく、眠る事ができるなんて、なんでだろう、とか思ったり。
好きで毎晩のように飲んでいたお酒も全然すすまない。
何処かへ飲みに行く気や、遊びに行く気が、全くしない。

生きる気力が全然無くて、死んでも良いかも、と初めて思った。
一方で、絶対に死ぬわけにいかないな、とも思ってた。
これ以上親に、子に先立たれる思いをさせるわけにはいかないと。
家族を喪う悲しみを、私の家族にもう味あわせるわけにはいかなくなっちゃったな、と思っていた。

つまらないとか、愚痴とか、苛立ちとか、そういう感情って、ある程度心身の環境が整っていて、生きる気力ないと、出ないものなんだね。
それくらい、感情を凍結していないと、生活できない状態だった。

2014年8月1日金曜日

こころの痛み

なんとなく、いつも考えている。
ワタシの役割というものについて。
与えられたカルマとダルマについて。
そりゃあ、多分これから一生変わらないだろう。
これだけのカルマを背負うってことは、
多分、なんらかのメッセージがあるわけで。
ちゅうかそうでも思わないとやってられなくなるから、
人はかかってきた出来事に意味を見出したりするのであって、
起こった出来事は、ただあるがままに起こっただけの事なのだとは思う)

二年前と変わった事。
毎日「今日も無事に目を覚ますことができた」と感謝してること。
何かしらに手を合わせていることが増えたこと。
人生は本当に短い、という事に実感していること。
「思い出さない日は無い」という存在が、常に心にあること。

誰か知っているひとが亡くなると、
そこに心を寄せる時間が増えたこと。
それは「ダメージが増えた」ということなのかもしれないけれど。

多分、ワタシは、自分が本当にものすごく傷つかないと、
相手の傷に寄り添う、ということが出来ないのだと思う。

基本が割と鈍感というか冷感にできているぽくて、
そのお陰でのほほんと生きてこれたもんだから。
他人の機敏に疎い、と思い込むことでその痛みに距離を置き、
自分の身を守ってたから。

「他者の役に立ちたい」とか、「誰かを支える手を持ちたい」
とか言うて、いろいろ勉強してきたけど、心のどこかで
「他人の気持ちなど本当のホントウにはワカラナイ」という事に、
寂しくも冷たい、よそよそしい気持ちを持っていて、
「それでも寄り添うことが大切なんだ」ということが、
どんなに思い込もうとしても、
あたまでしか理解することができてなかったのかもしれない。

そのころに比べると、今は少しだけ、あたまでなく、こころで、
「他者の痛みに寄り添う」ということがどういうことか、を
実感できるようになったような気がする。

もしかしたら、ワタシの受けたカルマは、
そういう、こころを痛みを、実感させるために、
与えてくれたのかもしれない、
「誰かの役に立ちたい」という思いを、より具体的な、
ワタシのダルマであることを気づかせるために。
(…にしては、ちょっとキッツイけどさ。)

このカルマを与えたくれた存在は、
もちろんワタシにそれを教えてくれる為に存在したのではなく。
彼は、彼が与えられた「この世で行うこと」を全うしたから、
この世から離れたのだろう、とちょっと冷静な見方もできることに気づいた。
少なくとも、少しだけ、そういう風に、願いたいと思えるようになった。

それは人間から見りゃ短いけれど。
宇宙から見りゃ、10年も50年もほぼ同じやったりするんだ。

2012年9月18日〜告別式

どうして、神様はあんな良い子を持って行ってしまったのだろう。
神様のもとへと行けるくらいの徳を積んでしまったからだろうか。
もし、弟の目標が
「ちゃんとした所に就職して、親を安心させる」ことやったとしたら、
それをきちんと叶えて、これから、彼自身の人生を生きる筈だったのに。
本当にやりたい、彼自身の人生は、まだまだこれからいっぱいあって、
結婚したりとかも、あったのに。

どうして私じゃなかったのだろう。
私の方が、弟よりも、もうじゅうぶん楽しんできて、
自分のやりたい事、やって来てるのに。
順番が違う、違うじゃないか。
それとも私に、何かまだしなければならない使命が、この世にあるからなのか?

��******

告別式の、最期の、さいごの家族のみで行なう、お別れ。
皆、「どうして、どうして」と言うんだけど、
でも、私は、さいごに「ありがとう」って言いたかったから。
やさしく、弟の頬に触れ、「ありがとう」と口にすると、
式の時には出てなかった涙が溢れて、止まらなくなった。

告別式場から火葬場に向かうバスに乗る時。
かろうじて空に留まっていた雨が、溜まらぬように降って来た。
車窓を叩き付ける雨粒で、窓側はひんやりとした冷気が漂っていた。
でも何故か、私の両目のちょっと上の額のあたりだけが、
まるで陽だまりの中にいるみたいに、ぽかぽかと温かくて。
弟が最期にぬくもりをくれて、支えてくれたように思えた。
だから、火葬場で、彼が焼かれる時も、泣かずに母を支えられたのだと思う。
バスの中のぽかぽかとしたぬくもりが、ずっと額に残っていて、
なんだか素直に、弟は、もう既にその肉体には宿っていなくて、
彼の魂は、すぐ側にいるような、そんな気がした。