このブログを始めた理由のひとつに、亡くなった弟のことがあります。
14歳離れた弟は、2012年9月16日に、急性心筋梗塞で亡くなりました。
27歳でした。
そんな、亡くなった弟のことについて、心の整理をしつつ、
同じようにきょうだいを亡くしたひとが、何かにすがりたくて、
同じように辛い思いをしているひとを探し求めた時に、
「ここにいますよ」と少しでもその思いをすくい取れたら、と思ったから。
何故なら、ワタシが実際に弟を亡くした時に、
同じようにきょうだいを亡くしたひとが、その思いを綴ったブログはないかと、
探しまくったのだけど、ところが、なかなか見つからなくて。
この辛さの持って行き場がなかったから。
…と思いながら、なかなか書けないでいました。
パソコンに向かう時間があまりない、ということもあるけど、
書く勇気が出なかった、というか、
重たい内容過ぎるので、どこか遠慮していた、というか。
いや、多分、自分にとって重た過ぎたのです、書くのはまだ。
でもようやっと、ぽつぽつと素直に書ける気持になりました。
そう、日常の中で、自然に思い出せるように。
この事実を、こうなってしまったことを、それでも生きているワタシを受け入れられるように。
だから、少しづつ。のんびりと。
弟のことも、書いてゆこうと思います。
2013年5月20日月曜日
「いのちを考える」講座を聴いて(2回目)
「いのちを考える」講座、2回目。
今回は、聖路加病院の元副院長先生であり、現在は小児総合医療センター長の、細谷亮太先生。
ほっとするような笑いを交えながらの講演。
重い疾病になった子供のドキュメンタリーの一部をみせてもらう。
彼らの状況に涙する、というよりも、ワタシは彼らの生き方に驚嘆する。
彼らの強さ、やさしさ、共感力。
「たった5年生きただけで、人はちゃんと人間として大事な所が備わっている」
とおっしゃられたけど、
多分、それは彼らのおかれた状況が、そうさせたのだとも何処かで思う。
でもその考え方も、どこか「基本人間は善に生まれたのである」と思っているからかもね。
「小さい頃に、親しい人/大切な人を無くした思い出は、大人になってどう影響するのだろう...多分、少なからず影響するであろうけど、それは決して悪くなるものではないだろう」
ああ。
その時、また思い出しちまったよ。弟はどうだったんだろうと。
小学生の時、親友を亡くしてた弟。
大人になっても、時間を見つけては、親友のお墓のお参りに言っていたらしい。
そんな影響を及ぼしたんだろうか。
でも、ぶっきらぼうな家族への優しさは、その出来事も影響しているのかもしれない、と思う。
多分、ワタシは弟のことを、
こうやって人目も憚らずに思い出せるところに、泣けるところに来て、
その度に素直になって、どんどん浄化されに来てるのだと思う。
正直に、弟がいたということ、亡くなったということ。
それは、誰かに遠慮して言わないでおこうと思ったりすることも、
悼みたい気持を隠そうとすることもなく、
それも、ワタシの一部なのとして、認めておきたいこと。
彼が弟として生まれたこと、
過ごしたこと、それはとても素敵なことだったのだから、
楽しかったのだから。
その思い出があるのだから。いつも側にいるのだから。
と、結局講演と関係ないところに思いを馳せておったのだけど...
心に刻んでおきたいことば。
共感とは...「他人の感情生活についての想像力、それを推察する勘、
つまり共感というものは、私たちの個我の限界を破るという
意味で賞賛すべきものであるだけではなくて、自己保存の必要
欠くべからず手段である。(トーマス・マンの小説より、細谷先生が引用)
今回は、聖路加病院の元副院長先生であり、現在は小児総合医療センター長の、細谷亮太先生。
ほっとするような笑いを交えながらの講演。
重い疾病になった子供のドキュメンタリーの一部をみせてもらう。
彼らの状況に涙する、というよりも、ワタシは彼らの生き方に驚嘆する。
彼らの強さ、やさしさ、共感力。
「たった5年生きただけで、人はちゃんと人間として大事な所が備わっている」
とおっしゃられたけど、
多分、それは彼らのおかれた状況が、そうさせたのだとも何処かで思う。
でもその考え方も、どこか「基本人間は善に生まれたのである」と思っているからかもね。
「小さい頃に、親しい人/大切な人を無くした思い出は、大人になってどう影響するのだろう...多分、少なからず影響するであろうけど、それは決して悪くなるものではないだろう」
ああ。
その時、また思い出しちまったよ。弟はどうだったんだろうと。
小学生の時、親友を亡くしてた弟。
大人になっても、時間を見つけては、親友のお墓のお参りに言っていたらしい。
そんな影響を及ぼしたんだろうか。
でも、ぶっきらぼうな家族への優しさは、その出来事も影響しているのかもしれない、と思う。
多分、ワタシは弟のことを、
こうやって人目も憚らずに思い出せるところに、泣けるところに来て、
その度に素直になって、どんどん浄化されに来てるのだと思う。
正直に、弟がいたということ、亡くなったということ。
それは、誰かに遠慮して言わないでおこうと思ったりすることも、
悼みたい気持を隠そうとすることもなく、
それも、ワタシの一部なのとして、認めておきたいこと。
彼が弟として生まれたこと、
過ごしたこと、それはとても素敵なことだったのだから、
楽しかったのだから。
その思い出があるのだから。いつも側にいるのだから。
と、結局講演と関係ないところに思いを馳せておったのだけど...
心に刻んでおきたいことば。
共感とは...「他人の感情生活についての想像力、それを推察する勘、
つまり共感というものは、私たちの個我の限界を破るという
意味で賞賛すべきものであるだけではなくて、自己保存の必要
欠くべからず手段である。(トーマス・マンの小説より、細谷先生が引用)
「いのちを考える」講座を聴いて(1回目)
先々週から、毎水曜日に10回連続で行なわれる、JR西日本関連主催の「いのちを考える」を聞きに行っている。
1回目は青木新門さん(映画「おくりびと」原案の「納棺夫日記」作者)。
柔らかなお顔だが、話しを聞くと私のイメージする「文学者」そのもの。
いのちは「生」と「死」は一体となって繋がっていて、だからこそ、死を感じ受け入れたときに輝くものなんだと思った。
彼がそれを伝えたいのだ、という事も。
「死はあたたかい」という事。
「死後2,3時間の顔は皆穏やかで良いお顔なんですよ」という言葉が印象に残る。
それは、知っている。
弟の顔は、とても優しかった。仏様みたいに。
死後6時間くらい、経っていたけど。
お葬式の時、冷たい雨の中でも、彼の顔を見た後の私の目と、額あたりはぽかぽかとあたたかった。
彼は、教えてくれたんだと思う。
動物や人間の子供の、臨終時の顔が穏やかなのは、死に対する恐怖や畏れの感情を持ち合わせてないからだそう。人間の死に対する恐怖心は、後から情報として仕入れるものなんだって。
弟の顔が穏やかだったのは、あんまりにも突然にその死がやって来たもんだから、恐怖とか感じる前に、死を受け入れちゃったんじゃないかなぁ、と思う。
意外と、その辺り、悟っちゃってそうやったから。
若かったのにね。
彼にとっては、死は生の隣に感じてた事かもしれない。
��R尼崎の事故の時は、時間が違えば当時大学生やった彼も乗ってたかもしれなくて、実際彼の同級生で亡くなった子がいた筈。
今頃、再会してるかなぁ…
そう、すこうし、切ないけど優しい気持で思った。
1回目は青木新門さん(映画「おくりびと」原案の「納棺夫日記」作者)。
柔らかなお顔だが、話しを聞くと私のイメージする「文学者」そのもの。
いのちは「生」と「死」は一体となって繋がっていて、だからこそ、死を感じ受け入れたときに輝くものなんだと思った。
彼がそれを伝えたいのだ、という事も。
「死はあたたかい」という事。
「死後2,3時間の顔は皆穏やかで良いお顔なんですよ」という言葉が印象に残る。
それは、知っている。
弟の顔は、とても優しかった。仏様みたいに。
死後6時間くらい、経っていたけど。
お葬式の時、冷たい雨の中でも、彼の顔を見た後の私の目と、額あたりはぽかぽかとあたたかった。
彼は、教えてくれたんだと思う。
動物や人間の子供の、臨終時の顔が穏やかなのは、死に対する恐怖や畏れの感情を持ち合わせてないからだそう。人間の死に対する恐怖心は、後から情報として仕入れるものなんだって。
弟の顔が穏やかだったのは、あんまりにも突然にその死がやって来たもんだから、恐怖とか感じる前に、死を受け入れちゃったんじゃないかなぁ、と思う。
意外と、その辺り、悟っちゃってそうやったから。
若かったのにね。
彼にとっては、死は生の隣に感じてた事かもしれない。
��R尼崎の事故の時は、時間が違えば当時大学生やった彼も乗ってたかもしれなくて、実際彼の同級生で亡くなった子がいた筈。
今頃、再会してるかなぁ…
そう、すこうし、切ないけど優しい気持で思った。
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