からだとあたまからこころまでほぐす、セラピストAsacoの日々の徒然。

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こころがちょっと疲れた時に、からだが不調を感じる時に。
ひだまりのようなひとときを。

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2014年1月21日火曜日

悲しみの個別性の高さ

正直に言ってしまえば。
ワタシの悲しみ・喪失体験は、他の誰よりも特別なものだとどこかで思っている。
14も離れた弟の、生も死も見届けた体験は、他の人とは共有できない体験。

でもそれは、誰もがみな思うことなのだと思う。
それくらい、喪失体験というものは個別性が高い。
たとえそれが、同じ家族の一員だとしても。
母と父、姉と妹でも立場によって全然違う。

記憶の中に存在する故人との関係、そしてその人への思いは、その人によって違うし、その人にしかわからない。
どんなに細かく表現し共有しようとしても、その人のイメージしているものは、その人の頭の中でしか存在しえない。

突然、奪われるように喪ったひとの、呆然とした悲しみ。
長期間の闘病後に喪ったひとの、覚悟を超えた悲しみ。
それがどっちがよりつらい、とか、比べる事はできない。

ワタシにできる事は、その事を常に心に留めて、
考え行動すること、くらいだ。


普段はこの悲しみを穏やかに受け止めて、
日々を過ごしているつもりだけれども、
ついこの間、こんなにも特別で悲しい経験をしたんだ、
という事を、何も考えずに延々と聞いてもらいたい、と思った時があった。
きっと、どこかで抑えている部分があるのだろうね。
抑えている内に、ワタシにそんな事が起こったことなど、
忘れられてしまう事への抵抗が、そうさせるのかもしれない。

そういう時もあるんだ。
まだ、二年も経っていないのだもんね。

そういう時に、聞いてもらえる場があったらいいな、と思う。

2012年9月16日~無言の帰宅

実家に弟を迎え入れた。

遺体は、重い。
汗びっしょりになりながら、
重たい身体を落とさないようしながら、
大人4人がかりで、どうにかこうにか居間まで運んだ。
(そもそも弟は身長が180cm、体重は90k超という超大柄)

そして、弟を清める儀式を行う。
納棺される方が挨拶され、最初の準備の間は、様子を見ることができたが、
静かに現場は閉じられ、後は洗ったりするだけの音がした。
ふたたび開いた時、弟は綺麗に白装束を着せられていた。
多分、清めのひと拭きは家族それぞれ行ったかと思うが、
それが着替える前か後か覚えていない。
ついでに言うと、いつ棺に入れられたかの記憶も曖昧だ。

彼が好きなものを一緒に入れてくださいね、と言われても、
いったい彼がどんなものが好きで、何が趣味かとか、判らなかった。

目が悪いから見えないと困るしね、と、
母が眼鏡を入れたことは覚えている。

あと、消臭とか香りに敏感だったらしく、一人暮らしだというのに芳香剤とか割と使っていたらしい。
それなら…と、ティッシュにフランキンセンスの精油を垂らして、
弟の襟元にそっと挟んだ。
そんなに香り好きなんやったら、アロママッサージとかしてあげたのになぁ。
もう、絶対、そんな風に触れる事はできないんだ、と思うと、
涙が出てきてどうしようもなくなった。

かくれんぼ

2012年、9月の新月の日に。
弟は逝ってしまった。
月が、弟と一緒に隠れてしまった。

かくれんぼなら、出ておいで。

月は再び出てくるというのに、弟は戻ってこない。

****

一年前に、書いた備忘録に、書いていた文章。

弟は、27歳で亡くなった。
若いとはいえ、社会人4年目の立派な成人となっていたのだが、
私の記憶の中に存在する弟は、小学校低学年の頃の姿が多い。
歳が14も離れている上、彼が中学生の時に、
私は結婚して実家を離れてしまったものだから、
それ以降の彼の印象が、非常に薄いせいもある。

大人になって、図体が私よりはるかにでかく、
思っている以上に頼りがいがあったというのに。

幼さを残したその顔が、笑顔になると、
本当に、小さい頃と変わらなくて。

だから、私の中では、小さい弟のままなのだ。
「おっきいねえちゃん」と人懐こい笑顔でなついてくる、あの姿が。

不意に、あの頃繋いだ、小さな小さな手の感触を思い出すと、
どうしようもなく泣きたくなる。