2014年10月13日月曜日
ワタシがここまで来れた意味
弟が亡くなった時、それまでいた世界と、
それ以降の世界は大きく見え方が変わってしまった。
今でも、弟の死以前、以後、という感覚はどこかに残っているけれど。
それを受け止められるようになった、と思う。
これはカルマ(業)だよ、とか、
いつも魂は側にあるから、とか、
本で読んでも、誰かに聞いても、
拒否したくてたまらなかった感情から、
少しづつ、少しづつ、
それを受け入れられるようになった。
そういうのは、時の流れしか、修復出来ないものではあるけれど、
思っていたより、早く前を向けられるようになったのは、
ワタシのありのままを、受け入れてくれた周りのおかげ。
沖縄で、やさしく見守ってくれた海辺の木々。
悲しみを伝え、支えてくれた家族。
そして、今までの学びや経験...
過去の喪失体験。
ホリスティックアロマを勉強していたこと
グリーフケアについて触れてきたこと
ヨーガやアーユルヴェーダの学びを通して得た、
この世界の理。
彼は、多分この世で与えたものを与えきったから、
この世の肉体から離れてしまったのだろうけど、
思えば其処此処に、見出すことができる。
その人に与えられた試練は、魂の成長の為に。
向き合い、受け入れることが出来る者であるから、
与えられたもの。
そう思えるようになった。
そして、ワタシが彼から得たものを、
どのようにして還してゆけばよいのか。
ワタシのダルマ(この世で行なう使命)や、
カルマ(無私の行い)についてを、
思いながら、これからを生きてゆこうかな、
と思う。