からだとあたまからこころまでほぐす、セラピストAsacoの日々の徒然。

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こころがちょっと疲れた時に、からだが不調を感じる時に。
ひだまりのようなひとときを。

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2014年9月5日金曜日

2012年10月後半〜悲しみと向き合う日々

2012年10月日記、続き。

10/18
弟の遺体に触れた時、死を身近に感じた。
確かに、彼に触れた時、冷たくて冷たくて。
眠っているみたいなのに。

自分で洗ってあげられたらよかった。
でも、どこかで躊躇したのは、そういう行為が身近に、習慣としてないから。

遺骨や遺物を大事にする、というのは日本人特有のものだそう。
死体(物としての)となり、遺体となり、死者(生き返る者)となってやっと受け入れられると。
まだよくわからないけれど、確かに。
彼が使いかけだった、コンタクトレンズの洗浄液を使った。
使い終わったけど、そのボトルは捨てられない。

何もかも虚しく思う。
ごはんが美味しくないわけではないし食べてるし、お腹も多分、空いている。
でもそこに余り執着していない。

死生学についての本を読む。
弟の死は、命を落としたのは弟の業によるものなのか。
ワタシが、弟の死という苦しみを負うのは、ワタシの業によるものなのか。
前世から続く業…でなければ辛すぎる。この世の業には思い当たらない。


10/23
彼から学ぼうとすることだとか、
グリーフのことや死生観が深まっただとか、
前向きなことを思おうとしているけれど。

どこかでそんなもん、学びたくなかったと思っている。
彼が戻ってくるのなら、そんなもん、どうでもいいと思っている。

地団駄踏んで、戻ってくるもんならば、なりふりかまわずやっている。
頭の中で、大声挙げて叫んで泣くワタシを思い浮かべる。

でもどうしようもないじゃない。
それで戻ってくるわけではない。

ただ、だから必死で、そこにしがみついているだけ。
冷静であるために。生きてゆく為に。
彼が死んでしまった事に、変わりはないのなら。
その死のせいで駄目なったりしないように。
彼の生きた証を胸に刻んで、彼の死を何らかの形で生かすために。

ひたすら本を読む。
この気持ちを、解ってくれるものを探すために。
なんとか「普通に」生きてゆくために。

私が生きてきた中で、おそらく一番辛い出来事だ。
自分よりはるかに若い、きょうだいの死。

みんなは、普通に、日常を生きているだけなのに、
なんて楽しそうに見えるのだろう。
あんな風にはできないのに、
どうして、私は普通に笑えるようになったんだろう。
あんなことがあったのに。


10/24
家族の他の者と比べて、私は冷静なのか。冷たいのか。鈍感なのか。鈍いのか。
悲しみが浅い様な気がする。
普通の生活にも戻れてる。
ご飯も食べにいける。
しっかりしなきゃ、と思っているからなのか。
今は無理してるのだろうか。
後から悲しみがふいに襲ってくるのだろうか。
それともこのまま徐々に馴れてゆくのだろうか。

前向きであろうとする言葉は、口にするとまだ薄っぺらいけど。

あの、焼き場に行く時に、眼と額のあたりに感じた、ぽかぽかと陽だまりのような暖かさを思い返す。
雨でひんやりとした空気に包まれていたのに、そこだけは暖かかった。
泣いた為に、そこだけ熱を持っていただけなのかもしれないけれど(そこまで泣きはらしてはいなかったけど)。

でも、あの時、確かに弟はワタシに力をくれてたのだと思う。
代わりに家族を、僕の為に来てくれた人たちのことを、しっかりと、見てあげて、と。

彼、もうあの身体には居ないとはっきりと感じて、受け止めていた。
彼の魂のぬくもりが、ワタシの目のあたりに漂っていた。
だから、焼かれてしまう時、冷静でいたのだと思う。

あれを感じたからなのだろうか。
今のワタシが、思ったより早く立ち直っているのは。

思いもよらなかった、身内の突然の死、というものは。
無理やり、じぶんのこころを半分以上、
もぎとられてしまったようだ。

あまりにいきなりすぎて、ショックのあまり、
その瞬間は痛みを感じていない事さえある。
もぎとられたその傷口は、肉や骨がむき出しになっていて、
どくどくどくどく涙の血を流す。
痛みには波があり、いつ塞がるのかさえ、わからない。
余りに傷は深く、いつまでもじくじくと悲しみがにじみ出る。
ようやっと、もぎ取られた部分をつなぎ合わせたとしても、
そのつなぎ目は、ちょっとした事で裂ける。

一度もぎとられたこころが、元通りに綺麗に治る事は無いだろう。
つなぎ合わせて、一見同じ形に収まったようでも、
どうにも埋まらない穴が空いてしまっているから。
それは、彼が持って行ってしまった部分。
それは、彼が私の大事な兄弟として、生きていた証拠なのだけれども。

それでも生きてゆかなければならない。
なんとかつなぎ合わせた、その傷口を保護しなきゃならない。
保護するための薬を、探さなけりゃならない。

身体上の怪我ならば、絶対安静と明らかにわかるけど、
でもこれはすべて内側で起きていることで、
見た目は今までと何も変わらない。

本当は、日常の生活をするので精一杯。

私の方が先に逝くはずなのに、とか、
代わりだったらよかったのに、とか、
生きる気力がなくなるだとか、
そういう気持ちがぐるぐるぐるぐる。


10/25
割と、悲しみを処理できているのではないかと思う。
冷静に、悲しめていない罪悪感とか抜きにして、考えてみよう。

昨日ご飯を食べに飲みに行ったとき、弟のことを忘れて、切り替えて楽しんでいた。
子供とか見ても、弟とダブらせたり彷彿させて悲しくなることは、あまりない。
かなり、割り切ったりすることが出来てしまうタイプなのではないだろうか。

前と一緒のこと、できるやん。
なんや、弟のことで辛さを越えて成長するとか、言うてるけど、そんなんもなくて、
普通に、前と同じ生活できるんかもしれん。

前とまだ違うこと。
ごはん食べに行くけど、相変わらず食べに行きたいとはあんまり思わない。
どんなイベントも、別にそれほど興味が沸かない。
笑い声、楽しげな会話、ぜんぶ、しょうもないとおもう。
何がそんなに楽しいんだろう、って思う。
死ぬ事はあまりこわくないままだ。

夢を良く見る。
弟を食べる夢。
長い長い物語を見ているような錯覚。

心臓が、時々痛くなる。軽い痛み。
そして動悸が激しくなる。
すこし、不安になる。


10/26
耳が聞こえにくい。
息がしにくい感じ。
動悸も時々。
肋骨のあたりが痛む。肋間神経痛?
なんだろう…ストレスで片付けていいもんなんやろうか。

なにもかもなげだしたくなる。
今、悲嘆の回復プロセスのどこの段階にいるのかわからない。
ショック期を過ぎたのか、
受け入れてる時なのか、
引きこもりの時なのか。

悲しいのか、落ち込んでいるだけなのか、
悲しみが浅すぎる自分を責めているのか、
一体なんなのか、わからない。

お腹もしくしく痛む。

日によって違う。