からだとあたまからこころまでほぐす、セラピストAsacoの日々の徒然。

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2016年12月16日金曜日

映画「いきたひ」を観て

「いきたひ」という、ドキュメンタリーを観ました。

自宅で看取る、ということ。
その人が、その人らしく生きてきた場所で、看取るということ。
生きて活かされた、生活の中に、死も自然にある。
触れる、ということは、エネルギーのうけわたし。

死に方は、生き方。
「死なないようにする」のではなくて、
「どう、生ききるか」ということ。

死ぬことを考えることで、生き方が光りかがやく。

色々なことを考えさせられ、
いままで経験したことを振り返るような
そんな映画でした。


上映会の後は、監督された長谷川ひろ子さんのお話。
「生きたひ」という文字と言葉に込められた思い。
題字をよく見ると、
「生」の字の最後の一画と「死」の字の最初の一画が
繋がっている創作文字になっています。

この字が表しているもの。
それは、「生きたい、死にたくない」ということ...
ではなくて。

どう、「行きたい」か。
「往きたい」か。
「逝きたい」か。
そしてそうやって「生きた日」のことごと。

生と死は、切り離すことができない。
今ここに自分が生きているということは、
自分の親、そしてその親、
そうやって先祖を延々と遡ることができるということ、

彼らの「死の上に成り立っている私の生。
それはイコール、
その人々の生がなければ、私は今この世にいなかった。
ということ。

だから、生と死の漢字の一画を合わせて造語にしたのです、
と。

この一本の線は、生の世界と、死の世界をつなぐ、
扉みたいにも見えて。
見えないけれども、私達のすぐ隣の扉の
向こうにある世界。

・・・

映画の中で、亡くなられたご主人の顔を見て、
「菩薩様みたいだわ」と思った、というくだりがありました。

そこで、ふと思い出したこと。
ワタシも、棺に納まった弟の顔を見て、
母と一緒に、「仏様みたいだね」と言っていたこと。

きっと、魂がこの世から離れてひとつの場所に還った瞬間、
その痕跡がこの世に宿っていた肉体に、
その顔に、印された、のだと思う。
それが菩薩や仏の顔に見えたのではないかと。

それは、もしかしたら「魂のかお」なのかもしれない。

映画