未来は今。
って、映画のタイトルはあったなあ(未見)。
「未来」は瞬間、今になり。
「今」は瞬間、過去になる。
歩いてる時にふと思いついたフレーズ。
そして意識を「歩く」に向けてみると、なんとも不思議な感覚になった。
歩こうとしている意思は未来に対してだけど、
歩んだ瞬間、その足は過去の意志によるものになる。
未来をどんどん過去に変え、
過去という足跡を大量生産している。
未来と過去ばかりに人の考えが揺れがちなのは、
「今」という瞬間を、捉えることが本当に難しいから。
だって「今」を感じるその瞬間、瞬きひとつする度にそれは既に「過去」なのだから。
「今」という瞬間に生きることを、捉え続けてゆけば、
いつか、それは永遠に繋がるのかもしれない。
呼吸に集中すると、「今」の自分の内面に入り込んでいけて、
そのうちのほんとたまに、もっと内面にアプローチできることがあって、
ふうっと、自分の身体と周りとの境界がなくなってしまったかのような、
そんな感覚に陥ったことが、ある。
あの感覚って、永遠に繋がる、ていうのに近いんじゃなかろうか。
まあ、そんな感覚めったにないけどね。
瞬間は、未来であり、今であり、過去であり、
そして永遠。
っていう文章を書きしたためていた、先週。
そして、週末に学んだヴェーダンタ勉強会にて、
先生が、「永遠」について語られまして。
その教えは、私が感じて書いたことに、
呼応するかのごとくの、答えがあって。
なんか、すごいなあ、このタイミング。
何かに導かれておるのか。おるのだろうな。
数年前に、同じこと聞いても、掴み損ねてただろうな。
求めているものとは、
出会うべくして出会うもの。
そして、受取る感性が、充分に準備できていたからこそ、
そう思えるのだと思う。