からだとあたまからこころまでほぐす、セラピストAsacoの日々の徒然。

からだとあたまからこころまでほぐす、セラピストAsacoの日々の徒然。
こころがちょっと疲れた時に、からだが不調を感じる時に。
ひだまりのようなひとときを。

アロマトリートメント(全身)&ヘッドマッサージについて
施術メニュー/価格/予約時間/場所等は→こちら
施術の流れ/内容については→こちら
をご覧下さい。

2014年8月1日金曜日

こころの痛み

なんとなく、いつも考えている。
ワタシの役割というものについて。
与えられたカルマとダルマについて。
そりゃあ、多分これから一生変わらないだろう。
これだけのカルマを背負うってことは、
多分、なんらかのメッセージがあるわけで。
ちゅうかそうでも思わないとやってられなくなるから、
人はかかってきた出来事に意味を見出したりするのであって、
起こった出来事は、ただあるがままに起こっただけの事なのだとは思う)

二年前と変わった事。
毎日「今日も無事に目を覚ますことができた」と感謝してること。
何かしらに手を合わせていることが増えたこと。
人生は本当に短い、という事に実感していること。
「思い出さない日は無い」という存在が、常に心にあること。

誰か知っているひとが亡くなると、
そこに心を寄せる時間が増えたこと。
それは「ダメージが増えた」ということなのかもしれないけれど。

多分、ワタシは、自分が本当にものすごく傷つかないと、
相手の傷に寄り添う、ということが出来ないのだと思う。

基本が割と鈍感というか冷感にできているぽくて、
そのお陰でのほほんと生きてこれたもんだから。
他人の機敏に疎い、と思い込むことでその痛みに距離を置き、
自分の身を守ってたから。

「他者の役に立ちたい」とか、「誰かを支える手を持ちたい」
とか言うて、いろいろ勉強してきたけど、心のどこかで
「他人の気持ちなど本当のホントウにはワカラナイ」という事に、
寂しくも冷たい、よそよそしい気持ちを持っていて、
「それでも寄り添うことが大切なんだ」ということが、
どんなに思い込もうとしても、
あたまでしか理解することができてなかったのかもしれない。

そのころに比べると、今は少しだけ、あたまでなく、こころで、
「他者の痛みに寄り添う」ということがどういうことか、を
実感できるようになったような気がする。

もしかしたら、ワタシの受けたカルマは、
そういう、こころを痛みを、実感させるために、
与えてくれたのかもしれない、
「誰かの役に立ちたい」という思いを、より具体的な、
ワタシのダルマであることを気づかせるために。
(…にしては、ちょっとキッツイけどさ。)

このカルマを与えたくれた存在は、
もちろんワタシにそれを教えてくれる為に存在したのではなく。
彼は、彼が与えられた「この世で行うこと」を全うしたから、
この世から離れたのだろう、とちょっと冷静な見方もできることに気づいた。
少なくとも、少しだけ、そういう風に、願いたいと思えるようになった。

それは人間から見りゃ短いけれど。
宇宙から見りゃ、10年も50年もほぼ同じやったりするんだ。