なんとなく、いつも考えている。
ワタシの役割というものについて。
与えられたカルマとダルマについて。
そりゃあ、多分これから一生変わらないだろう。
これだけのカルマを背負うってことは、
多分、なんらかのメッセージがあるわけで。
ちゅうかそうでも思わないとやってられなくなるから、
人はかかってきた出来事に意味を見出したりするのであって、
起こった出来事は、ただあるがままに起こっただけの事なのだとは思う)
二年前と変わった事。
毎日「今日も無事に目を覚ますことができた」と感謝してること。
何かしらに手を合わせていることが増えたこと。
人生は本当に短い、という事に実感していること。
「思い出さない日は無い」という存在が、常に心にあること。
誰か知っているひとが亡くなると、
そこに心を寄せる時間が増えたこと。
それは「ダメージが増えた」ということなのかもしれないけれど。
多分、ワタシは、自分が本当にものすごく傷つかないと、
相手の傷に寄り添う、ということが出来ないのだと思う。
基本が割と鈍感というか冷感にできているぽくて、
そのお陰でのほほんと生きてこれたもんだから。
他人の機敏に疎い、と思い込むことでその痛みに距離を置き、
自分の身を守ってたから。
「他者の役に立ちたい」とか、「誰かを支える手を持ちたい」
とか言うて、いろいろ勉強してきたけど、心のどこかで
「他人の気持ちなど本当のホントウにはワカラナイ」という事に、
寂しくも冷たい、よそよそしい気持ちを持っていて、
「それでも寄り添うことが大切なんだ」ということが、
どんなに思い込もうとしても、
あたまでしか理解することができてなかったのかもしれない。
そのころに比べると、今は少しだけ、あたまでなく、こころで、
「他者の痛みに寄り添う」ということがどういうことか、を
実感できるようになったような気がする。
もしかしたら、ワタシの受けたカルマは、
そういう、こころを痛みを、実感させるために、
与えてくれたのかもしれない、
「誰かの役に立ちたい」という思いを、より具体的な、
ワタシのダルマであることを気づかせるために。
(…にしては、ちょっとキッツイけどさ。)
このカルマを与えたくれた存在は、
もちろんワタシにそれを教えてくれる為に存在したのではなく。
彼は、彼が与えられた「この世で行うこと」を全うしたから、
この世から離れたのだろう、とちょっと冷静な見方もできることに気づいた。
少なくとも、少しだけ、そういう風に、願いたいと思えるようになった。
それは人間から見りゃ短いけれど。
宇宙から見りゃ、10年も50年もほぼ同じやったりするんだ。