カクテル・パーティ効果、っていうのがあります。
雑音の中でも、誰かに呼ばれたりした時、
その声だけぱっと耳に入ってくる、ってやつ。
こういう時、耳は、聞きたい音しか聞き取っていないらしい。
周りの全ての音を耳が拾っている状態では、
「聴く」という目的が果たせない。
そんな事を、連想しました。
自分も含めて、人が求めている様々な「しあわせ」について、
思いを巡らせていた時に。
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人生の目的は何か。
何を求めて生きているか。
色々な答えがあると思いますが、
その根底にあるのは、
自分自身を認め、しあわせになる
ということでないかと、感じます。
でも、その目的は、既に果たされているのです、実は。
自分の内側に、すべては、既に、あるのです。
それに気づくか気づかないか。
認めるか、認めないか。
ワタシの今味わっている環境や感情は、
自分の内面にあるものの中から、
自分自身が選んでいるだけ。
そう、実は、しあわせになるという目的のために、
それを拾い集めている。
耳が聞きたい音だけしか、聞き取ってないように。
潜在的に、そうしている。
でも、しあわせも、ここ(と自分の胸に手を当ててね)、にある。
それに気づくこと、許可すること。
しあわせになる、のではなく、
しあわせを探す、のではなく、
もうすでにしあわせなんだ。
どんなに、悲しくても、怒ってても、笑ってても、
恨んでても、羨んでも、
しあわせは、常に自分に備わっていて、
ただそれに気づいて、認めるだけなのです。
自分の中に、きらめきは無数にあるのよね。
光のように。