久高島には、呼ばれないと行けないらしい。
と何人かの人に聞きました。
今回の沖縄への旅の本来の目的。
久高島に「お礼」をしに行く事でした。
一回目の訪問は、約三年前の2012年12月。
実弟が27歳で急逝して、三ヶ月後の事でした。
その前から夫のマラソンの応援に、
那覇に行く予定になっていたのだけど、
空いてる時間に観光する気分には全くならず。
ただ、久高島は神様が最初に降りた場所といういわれを知り、
何となく…弟に近い場所かなぁ、と思って行ったのです。
その当時のワタシは心のどこかで、
何で先に弟が逝っちゃったんだろう、
私の方が先じゃないか、という生きていることへの罪悪感や、
長女として、父や母の方を心配しなきゃいけない、と思っていて、
色んな感情が、揺れ動かないように心を「固めて」いました。
そんな私を、久高島は、優しく受け入れ、
生きる事を赦してくれ、癒してくれました。
たった数時間の滞在でしたが、
ただただ、溢れてくる感情に涙を抑えられず、
動けない瞬間があって。
あの時の浄化が、
私を前に歩かせてくれる一歩になったのです。
...それから三年経ち、会社を辞める事が決まった時、
ふっと、「そうだ、久高島に、あの時のお礼をしに行こう」
と思い立ったのでした。
今回は、この島に宿泊する事にしました。
ここから朝日を見たかったのです。
前回の晴れ渡る暖かい青空とは打って変わって、
今回はびゅうびゅうと風が吹き、灰色の雲が流れる空。
歩いて島の岬まで行く途中、所々にある御嶽。
全身が痺れるような感覚。
でもそのあと不思議な、
自分の全身を貫く熱さみたいなものも感じて、
畏怖の念を感じずにいられませんでした。
「お礼をいわれるほどもない事よ」
と私の思いなど吹き飛ばされちゃうような、
大いなる、愛、のようなものも感じました。
「ちゃんと芯を立てて生きなさい。」
なんとなく、そんな風に言われたような気がして。
風に吹かれながら、そんな言葉が浮かび上がって来ました。
夜中じゅう、そんな吹きすさぶ風が、
厚い雲を取り払ってくれたおかげで、
翌朝、朝日を臨むことが出来ました。
私は、呼んで、いただけたのでしょうか。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
お礼とかそういうものを越えた、
大きな畏怖の念に対して、
そしていただいた気付きに対して、
ただ、ただ、祈りを捧げました。