からだとあたまからこころまでほぐす、セラピストAsacoの日々の徒然。

からだとあたまからこころまでほぐす、セラピストAsacoの日々の徒然。
こころがちょっと疲れた時に、からだが不調を感じる時に。
ひだまりのようなひとときを。

アロマトリートメント(全身)&ヘッドマッサージについて
施術メニュー/価格/予約時間/場所等は→こちら
施術の流れ/内容については→こちら
をご覧下さい。

2014年12月23日火曜日

行動して、気づかなかった執着があらわれてきた。

じつは、今まで準社員として働いてたのですが、この度、アルバイトという立場に、働き方を変える選択をしてみたのです。職場はそのままで。

当たり前ですが、色々と、条件が変わるわけです。
もちろん、それは、予想していたこと。

だけど、時給の事を考えたり話したりしてるうちに、ふいっと気づいた。
今までの自分の知識が、お金に換算して考慮してもらえるのではないか、と
どこか期待している自分に。

それは、お金への執着というよりも、
自分の経験価値、ということに対する執着。
働いてきた年数とか、積み重ねてきた知識とか。
そこ、考慮してもらえなかったら、全部ゼロになるってこと?って。

いっぺん全て手放そう、と思っていたことなのに、
ちょっとしたことで、すぐに私欲が顔をのぞかせる。
既に持っている、「権利」への執着。


ふとした瞬間に、相手のメリット/デメリットを天秤にかけて物事を考えていて。
そうするとね、自分の続ける理由も、そっちにすりかわってしまう、という事に気づく。

間違っちゃ、いけない。
ワタシが続ける理由は、もっとシンプルなことやんね?

欲をもっていい。
だが、それは利己欲ではない。
利他欲であれ。
ヨーガ・スートラで習ったな。

そう考えれば、ざわざわしていた、
思考のさざ波がすうぅっと、消える感覚がやってくる。

そう、これは、まだワタシにある執着に気づくために、起こっている事。
出来事は、全部自分の内側で起こっていることなんだよね。

気づいた、ということは、
そこから離れられるように機会を与えられた、
ということなんだ。

そんなこんなで、手放して、軽くなったスタートは、偶然にも、「朔旦冬至」という19年に一度の新月と冬至が重なった日、なのでした。