当たり前ですが、色々と、条件が変わるわけです。
もちろん、それは、予想していたこと。
だけど、時給の事を考えたり話したりしてるうちに、ふいっと気づいた。
今までの自分の知識が、お金に換算して考慮してもらえるのではないか、と
どこか期待している自分に。
それは、お金への執着というよりも、
自分の経験価値、ということに対する執着。
働いてきた年数とか、積み重ねてきた知識とか。
そこ、考慮してもらえなかったら、全部ゼロになるってこと?って。
いっぺん全て手放そう、と思っていたことなのに、
ちょっとしたことで、すぐに私欲が顔をのぞかせる。
既に持っている、「権利」への執着。
ふとした瞬間に、相手のメリット/デメリットを天秤にかけて物事を考えていて。
そうするとね、自分の続ける理由も、そっちにすりかわってしまう、という事に気づく。
間違っちゃ、いけない。
ワタシが続ける理由は、もっとシンプルなことやんね?
欲をもっていい。
だが、それは利己欲ではない。
利他欲であれ。
ヨーガ・スートラで習ったな。
そう考えれば、ざわざわしていた、
思考のさざ波がすうぅっと、消える感覚がやってくる。
そう、これは、まだワタシにある執着に気づくために、起こっている事。
出来事は、全部自分の内側で起こっていることなんだよね。
気づいた、ということは、
そこから離れられるように機会を与えられた、
ということなんだ。
そんなこんなで、手放して、軽くなったスタートは、偶然にも、「朔旦冬至」という19年に一度の新月と冬至が重なった日、なのでした。