からだとあたまからこころまでほぐす、セラピストAsacoの日々の徒然。

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こころがちょっと疲れた時に、からだが不調を感じる時に。
ひだまりのようなひとときを。

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2014年1月21日火曜日

悲しみの個別性の高さ

正直に言ってしまえば。
ワタシの悲しみ・喪失体験は、他の誰よりも特別なものだとどこかで思っている。
14も離れた弟の、生も死も見届けた体験は、他の人とは共有できない体験。

でもそれは、誰もがみな思うことなのだと思う。
それくらい、喪失体験というものは個別性が高い。
たとえそれが、同じ家族の一員だとしても。
母と父、姉と妹でも立場によって全然違う。

記憶の中に存在する故人との関係、そしてその人への思いは、その人によって違うし、その人にしかわからない。
どんなに細かく表現し共有しようとしても、その人のイメージしているものは、その人の頭の中でしか存在しえない。

突然、奪われるように喪ったひとの、呆然とした悲しみ。
長期間の闘病後に喪ったひとの、覚悟を超えた悲しみ。
それがどっちがよりつらい、とか、比べる事はできない。

ワタシにできる事は、その事を常に心に留めて、
考え行動すること、くらいだ。


普段はこの悲しみを穏やかに受け止めて、
日々を過ごしているつもりだけれども、
ついこの間、こんなにも特別で悲しい経験をしたんだ、
という事を、何も考えずに延々と聞いてもらいたい、と思った時があった。
きっと、どこかで抑えている部分があるのだろうね。
抑えている内に、ワタシにそんな事が起こったことなど、
忘れられてしまう事への抵抗が、そうさせるのかもしれない。

そういう時もあるんだ。
まだ、二年も経っていないのだもんね。

そういう時に、聞いてもらえる場があったらいいな、と思う。