トーキングサークルの場に、先日参加しました。
主催は、かずぼん。ブログにその様子が書かれています。トーキングサークルとは参加者が輪になって、
心の中で考えていること、感じていること、迷っていること、
などを自由にシェアする会。
元々、ネイティブインディアンの会議というか、
魂の話をしあう場のことだそう。
悩みを言ったからといって、その解決や答えを出すことは無く、
ただ話ををされることに、耳を傾けるだけ。
話をする人は、今自分が抱えている思いを確認する場として、
話をきく人は、そこからまた自分を振り返ったり、何らかの気付きを得るのです。
その気付きが、なんだか、今、じわじわーーっと来ています。
かずぼんのブログにある通り、
今回のキーワード、「自分に許可を与える」
ということが浮かび上がって来ました。
そこから話は繋がってゆく。
「絶対的な自己肯定感あればオールOK」
っていうのが、すとん、腑に落ちた感じ。
相手との優越を比べたり、非難したりって、
そうすることで、自分の中の否定的な部分や
間違いと思っているのを、
なんとか正当化して、認めようと思ってやってること。
自分で好きで選んでやっていること。
自分を認めた分だけ、相手を認められる。
って文章にしたら、よく言われてることだけど、
頭ではわかってるつもりになっていたこと。
それがなんか、
「ああ、そっかぁ!」
って、感覚がひとつ、開いた感じ。
って、上手く言えないけど。
あと、どんなセンスも才能も、本当はみんなにあるってこと。
それを自分自身が認めるか、認めないか。
ただそれだけ、ってこと。
ワタシはアロマセラピストやけど、
ひとに触れて何かを感じ取る感性や、
スピリチュアルな感覚が、ちょっと鈍いと感じていて、
それを敏感に感じられる人を羨ましい、と思ってる節が
あるのだけど、
(あと音楽できるひとやリズム感あるひとも!)
それは自分で自分に許可を与えてないだけなんやーと。
ワタシに、実は全部既に備わってるねえ。
これもまた絶対的な自己肯定感に繋がるんやねえ。
普段話をしない心の中を他者にシェアするだけで、
そんな気付きと、癒しを得られる。
自分を話すことで、自分を放せる、素敵な場を、
ありがとう。
トーキングサークルの後。
参加者の方々といただいた、ネパール料理のカレーも美味しかった♪
参加者の方々といただいた、ネパール料理のカレーも美味しかった♪