からだとあたまからこころまでほぐす、セラピストAsacoの日々の徒然。

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こころがちょっと疲れた時に、からだが不調を感じる時に。
ひだまりのようなひとときを。

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2013年12月12日木曜日

誕生日を迎えて

…弟の事が、なかなか書きすすめていないまま、ブログ開始して、1年経ってしまいました。
時間をみつけて、ちょこちょこ書いていこう。うん。
中々時間ないけど…

今日は、誕生日。

こんな寒い朝にするマフラーを選ぶ時。
「あのマフラーは無いんだな」と脳裏に浮かぶのと同時にいつも、
裸足のおばあちゃんを思い出す。

去年の誕生日も、めっさ寒い日で。
ヨガの帰りに、裸足でエプロン姿のおばあちゃんが近所の道路に
突っ立ってたもんだから、その、一番お気に入りのマフラーをあげたんやった。
そうだそうだそうだった。
その代わりにインドで素敵な色合いのストールを見つけた。
今はそれがお気に入り。

今年も無事誕生日を、むかえることができて、
いつもと同じように、のぼりゆく朝日に向かって祈ると、涙が出てきた。
もう、涙もろいんだよね。
感謝とか有り難いとか、そんなんが湧いてくる。

弟の死があってから、
悲しくてもどうしようもない事や、
生きてていいんだろうかとか、思う時もあったけど。

少しづつ、時が経ち、
少しづつ、自分のできることを見つけることができて。
本当に、毎朝を迎えられる事がありがたいと思えるようになった。
「今」という時の大切さが、以前より沁み入る。
限りある人生、限りない思い。

ワタシは森羅万象に宿っている、何らか、のおかげで生きてこれてるのだと思う。
その’何らか’は、「神様」だったり「サムシングレート」だったり、
人によって色々だけど。
ワタシは恥ずかしげも無く「愛」とでも言ってみよう。

この世のものには、全てに愛が宿っている。
ワタシにも、アナタにも。
その愛を受け取ったり送ったりできてるおかげで、
泣いたり笑ったり、苦しんだり悲しんだり、
喜んだり慈しんだりできるのだと思う。

だから。

この世界に、つながっていられることに。
この空間を共有してくれる、家族に。
この思いを共有してくれる、友に。


ありがとう。
ありがとう。

本当に、ありがとう。

Om,Shanti.

2013年10月1日火曜日

2012年9月16日~対面

この世に、「絶対」というものは殆どないと思うのだけど。
唯一、「絶対」と言えるのは、
生を受けたものは、絶対死がある、という事だ。

****

2012年9月16日の朝。
妹と、夫と3人で新幹線を乗り継いで福山まで行った。
もう、どうしようもないけれど、会いに行きたい、というより、
本当の事なのかどうか、確認しに行きたいというか。
両親のことも心配だった。

霊安室の前の椅子に、弟の会社の上司が座っておられた。
何と言っていいのかわからない。
とりあえず、部屋の中に入る。

横になっている弟は、いい夢でも見ているような、穏やかな顔で目を瞑っていた。
少し青ざめている唇を除いては、まるで眠っているようだった。
でも、どんなに揺らしても起きなかった。

枕元には、破いた服と靴がビニールに包まれていた。
病院の方は、両親が来るまで、蘇生処置を施してくれたらしい。
状況から、おそらく運びこまれたときには、既に心停止状態であったと思う。
4時間近く、きっとずっと行ってくれていたのだ。
同僚の人達も、ずっと外で待ってくたそうだ。

弟を、自宅まで、両親が乗ってきた車で連れて帰ることにした。
でも運転は、夫にしてもらうことにした。
精神状態が不安定な両親の運転はあまりに不安なので。

霊安室は、車が直付けできるようになっているから、1階にあるのね、
思ったのは後のこと。
この時は、弟をベッドから車へ、担架で運ぶのが大変だった。
弟は、かなり大柄なので、大人の男性6人くらいで、ようやっと運べる重さ。
車にもギリギリ入るか入らないか位だったが、なんとか乗せることができた。
(帰ってから、家に入れる時はもっと苦労することとなった)

車に乗るときに、「必ず持ってて、何かの折にはすぐ見せるように」と
渡された死亡診断書。
死因は、「急性心筋梗塞」と書いてあった。

私と妹は、車を見送った後、新幹線で帰ることとなり、
最寄の駅まで、弟の同僚の方が送ってくれた。

朝から何も食べていなかった。
食欲は、まったくと言っていいほどなかった。
けれど、これからの事を考えて、とりあえずお腹に何か入れなくちゃ、と
妹を無理やり促し、立ち食いうどんやさんで遅い昼をとった。

しっかりしなくちゃあ、いけない。
多分、無意識に「長女である自分」を演じ出していたように思う。

2013年9月23日月曜日

2012年9月16日~真夜中の電話

弟が、急に倒れた、という電話があったのは、
2012年9月16日に日付が変わって間もない頃だったと思う。

その日は早朝から、大山へ行くことになっていて、
前日から山登りの準備などやっとし終えて、早めに寝なくちゃ、
と思ってたか、もう眠りについていたときだったか…

携帯電話が鳴った。

電話を取った瞬間、なんだか悪い予感がした。
妹からだった。
最初に妹がなんて言ったかは、覚えていない。
ただ、「まーくん(弟)が倒れた」と伝える時に声が震え絶句した後は、
つとめて冷静に状況を説明してくれたように思う。

広島県福山市で働いている弟が、
同僚と飲んでいる時に、急に倒れて意識不明になった、
という電話が入ったこと、
今しがた両親が車を飛ばして宝塚の実家を出たこと等を話してくれた。

とりあえず、両親からの連絡を待つこと、
朝一番に電車で向かおうという事で、電話を切った。


ただ、ひたすら呆然としていた。
ショックが大きすぎる、というか、あり得なさすぎることで、
まだどこか現実ではないような。
弟が意識不明ということも、広島まで両親が車を飛ばしているという事実も、
一枚のベールを通して伝わってきているような感覚。

だから、次に来る電話が、「いや~、勘違いやったわ」とか
「病院ついたら目覚ましてたわ~」とかでありますように、という
うっすらとした希望とか、祈りを抱いてるんだけど、
そう思ってる自分の状態自体も、なんだか芝居じみていて信じられない。
そうしている一方で、
「真夜中の電話、というのは、大抵悪い知らせっていうのは本当だな」
とか、
「状況を考えると心筋梗塞の可能性が高くて、心肺停止状態から5分以上経ってたらまずいんだよな」
とか、
「朝になったら、山に行けなくなった事はダンナに伝えてもらわなくちゃ」
とか、
妙に冷静にとらえている自分もいた。

ソファでうつらうつらとしながら、
祈る感情と冷静な理性との間で揺れている夜明け前、
再び電話が鳴った。
今度は母から直接だった。


「…まーくんが…まーくんが、死んじゃったよぉぉ…」
と電話の向こうで、母は泣き崩れた。

2013年9月18日水曜日

一周忌。

2013年9月16日。
弟の一周忌。

前日から、実家に泊まりに行った。
台風の影響で、雨が強くなったり、弱くなったりしていた。

どどどぅっ…と家の近くで流れる用水路の大きな音が、
激しさを増す雨と風を感じさせる。

晩御飯。ビールで献杯。
ちょっと焦げ付いた煮物。パスタサラダ。鮭のマリネ。
実家では、いつもおかずをつまみに酒を飲む。
母が青森の実家で帰ったときに手に入れた田酒をちょっと嘗めた後、
ワインを空けて、とろんと夜が更けてゆく。
父、母、夫と、段々リビングから引き上げてゆく中で、
妹とふたり、グラスを交わす。
日付が変わる頃、明日があるし寝るわ、と流石にワタシも布団に向かう。
もう少し飲むわ、と妹。

少し飲みすぎたかな、気持ち悪いな、と思いながら布団へ入ると、
ふいに、酔いが悲しみを連れて襲ってきた。
横で寝ている夫に気づかれないように、声を殺して泣いた。

しばらくすると、隣の部屋の仏壇の間から、妹のむせび泣く声が聞こえてきた。
開いていた扉を静かに閉めた。

****

一周忌の読経を聞きながら、ぼんやりと思っていた。
何のために一周忌を行うのだろうなあ、と。
だって弟は、四十九日で、一応は仏様のところに行ったわけで。
まあ、もちろん供養の為ではあるのだけれども。

そんな疑問に答えるように、来て下さったお坊さんはおっしゃった。

一周忌は、「小祥忌」といって、もちろん、亡くなったひとの供養もあるけれども、
一年間、こうやって供養を無事に家族みんなが過ごせてよかったね、ということや、
そうやって、少しづつ素直に喜んでも良いことなどをしても良いのだよ、という
区切りのための儀式でもあるそうです。


ということで。
これを区切りに、記録の為に、整理の為に。
一年前の事を、書き起こそうと思う。

なかなか、書く時間がなくて、滞っていて、
見ているひとはほとんどいらっしゃらないと思うけれど。
それだからこそ、のんびり、ひっそり。
これくらいが、ちょうど良い。

2013年5月20日月曜日

弟のこと

このブログを始めた理由のひとつに、亡くなった弟のことがあります。
14歳離れた弟は、2012年9月16日に、急性心筋梗塞で亡くなりました。
27歳でした。

そんな、亡くなった弟のことについて、心の整理をしつつ、
同じようにきょうだいを亡くしたひとが、何かにすがりたくて、
同じように辛い思いをしているひとを探し求めた時に、
「ここにいますよ」と少しでもその思いをすくい取れたら、と思ったから。
何故なら、ワタシが実際に弟を亡くした時に、
同じようにきょうだいを亡くしたひとが、その思いを綴ったブログはないかと、
探しまくったのだけど、ところが、なかなか見つからなくて。
この辛さの持って行き場がなかったから。


…と思いながら、なかなか書けないでいました。
パソコンに向かう時間があまりない、ということもあるけど、
書く勇気が出なかった、というか、
重たい内容過ぎるので、どこか遠慮していた、というか。

いや、多分、自分にとって重た過ぎたのです、書くのはまだ。

でもようやっと、ぽつぽつと素直に書ける気持になりました。
そう、日常の中で、自然に思い出せるように。
この事実を、こうなってしまったことを、それでも生きているワタシを受け入れられるように。

だから、少しづつ。のんびりと。
弟のことも、書いてゆこうと思います。