ご無沙汰してたら、すっかり夏を越えてしまいました。
元気にはしていたのですが、新しく仕事の場が増えたり、学びを深めたりしてました。
今もまだ環境が変化していることに、心境にも変化が生まれつつあります。
今迄学んできたことをいかに自分の中に落としこんで、
どんな風に周りに還元していこうか、そんな事を模索していたりもしていました。
そんな中で、仕事へいく道すがらに、目にした小さなものに、
心がほうっと一息ついて、あたたかくなる一瞬がありました。
その時思った事を備忘録。
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愛おしいもの、小さきもの。
道端の花壇に咲いている小さな花の、足元にあった、愛らしいグリーン。名前は知らないけれど、ただその場で、生き生きと自分のいのちを生きている、
その様子がなんとも愛おしい。ワタシはそういう小さきものでありたい、と思った。どんなところにいたとしても、
小さきものを愛おしいと思うワタシでありたいと願う。そして、時々そうでないワタシであることも、受け止め続けていたいと願う。
「〜したい」と願うことは、
「今の自分はそうではない」と認めてしまうことだと聞いて、そういう言い方をしないように思い直したりしていた頃がある。
けれど、そういうことばかりするのも、しんどい(というか面倒くさい)し、
ちょっとどこかで違和感を感じた。
そうだ、ただ「そうでない私」をも、受け入れてゆきたいと思う。素直に、「〜したい」と生まれた氣持ちに従順でありたい。
なにが良いとか悪いとか、高次元とか低次元とか、プラスとかマイナスとか。
そんな風に二元化したりするけれど、
そんな全ては自分や誰かが考えている価値観なだけ。
ワタシ自身はそこがどんなところであっても、
そこでどうありたいか、と考えられる人でありたい。
そう、それで。「そうありたい」と願うワタシを大切にしたいと思うのだ。