「”知っているのにやっていない”がいちばん良くない」
みたいな文章を読んで、ドキッとした。
みたいな文章を読んで、ドキッとした。
ワタシは、そんなところがある、と思っているところだったから。
どこかでそれをごまかしている自分がいた。
例えば、
食べることに集中することが大切なのに、
ついつい何かを見ながらご飯を食べてしまっていたり。
毎朝の瞑想を、電車の中の10分でやったことにしちゃったり。
している「つもり」、
続けている「つもり」になっていかな?
「自分の出来る範囲で、出来る事を」
と思っているのが甘えになっていないかな?
何となく続けていても、
イマイチ効果が感じられなかったり、
自分の言葉が上滑りに感じたり、
自分が偽善的であるような気がする時がある。
それは、どこかで「やりきれていない」
という感覚があるからかもしれない。
「いま、ここ」に集中しきれていない感じ。
それはやっぱり、今の生活の過ごし方が 影響しているのだろうな。
...色々、考えてしまってるんだろうなあ。
「いま、ここ」に集中しきれていない感じ。
それはやっぱり、今の生活の過ごし方が 影響しているのだろうな。
...色々、考えてしまってるんだろうなあ。
「そんな自分でもオッケー」と思うことと、
「楽だからついそこに留まっている」ことは違うんだよ。
それは、”自分に許可を与えてる”のではないのだよ。
「そうした方が良い」ということはわかっているのに、
何かの理由でできない、と言っているのは、
本当にそれを「良い」とまで思えてない、ということ。
そう思えるところまで成長できていない、ということかもな。
「瞑想は自分の中にいる”神さま” の一番近くに行ける行為なんだよ」
という言葉を思い出す度、
ほんまにきちんと瞑想したいと思っているはずなのに、
行動が伴っていない自分。
むーん。
まだまだ、修業中。