「いのちを考える」講座、2回目。
今回は、聖路加病院の元副院長先生であり、現在は小児総合医療センター長の、細谷亮太先生。
ほっとするような笑いを交えながらの講演。
重い疾病になった子供のドキュメンタリーの一部をみせてもらう。
彼らの状況に涙する、というよりも、ワタシは彼らの生き方に驚嘆する。
彼らの強さ、やさしさ、共感力。
「たった5年生きただけで、人はちゃんと人間として大事な所が備わっている」
とおっしゃられたけど、
多分、それは彼らのおかれた状況が、そうさせたのだとも何処かで思う。
でもその考え方も、どこか「基本人間は善に生まれたのである」と思っているからかもね。
「小さい頃に、親しい人/大切な人を無くした思い出は、大人になってどう影響するのだろう...多分、少なからず影響するであろうけど、それは決して悪くなるものではないだろう」
ああ。
その時、また思い出しちまったよ。弟はどうだったんだろうと。
小学生の時、親友を亡くしてた弟。
大人になっても、時間を見つけては、親友のお墓のお参りに言っていたらしい。
そんな影響を及ぼしたんだろうか。
でも、ぶっきらぼうな家族への優しさは、その出来事も影響しているのかもしれない、と思う。
多分、ワタシは弟のことを、
こうやって人目も憚らずに思い出せるところに、泣けるところに来て、
その度に素直になって、どんどん浄化されに来てるのだと思う。
正直に、弟がいたということ、亡くなったということ。
それは、誰かに遠慮して言わないでおこうと思ったりすることも、
悼みたい気持を隠そうとすることもなく、
それも、ワタシの一部なのとして、認めておきたいこと。
彼が弟として生まれたこと、
過ごしたこと、それはとても素敵なことだったのだから、
楽しかったのだから。
その思い出があるのだから。いつも側にいるのだから。
と、結局講演と関係ないところに思いを馳せておったのだけど...
心に刻んでおきたいことば。
共感とは...「他人の感情生活についての想像力、それを推察する勘、
つまり共感というものは、私たちの個我の限界を破るという
意味で賞賛すべきものであるだけではなくて、自己保存の必要
欠くべからず手段である。(トーマス・マンの小説より、細谷先生が引用)