からだとあたまからこころまでほぐす、セラピストAsacoの日々の徒然。

からだとあたまからこころまでほぐす、セラピストAsacoの日々の徒然。
こころがちょっと疲れた時に、からだが不調を感じる時に。
ひだまりのようなひとときを。

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2013年9月23日月曜日

2012年9月16日~真夜中の電話

弟が、急に倒れた、という電話があったのは、
2012年9月16日に日付が変わって間もない頃だったと思う。

その日は早朝から、大山へ行くことになっていて、
前日から山登りの準備などやっとし終えて、早めに寝なくちゃ、
と思ってたか、もう眠りについていたときだったか…

携帯電話が鳴った。

電話を取った瞬間、なんだか悪い予感がした。
妹からだった。
最初に妹がなんて言ったかは、覚えていない。
ただ、「まーくん(弟)が倒れた」と伝える時に声が震え絶句した後は、
つとめて冷静に状況を説明してくれたように思う。

広島県福山市で働いている弟が、
同僚と飲んでいる時に、急に倒れて意識不明になった、
という電話が入ったこと、
今しがた両親が車を飛ばして宝塚の実家を出たこと等を話してくれた。

とりあえず、両親からの連絡を待つこと、
朝一番に電車で向かおうという事で、電話を切った。


ただ、ひたすら呆然としていた。
ショックが大きすぎる、というか、あり得なさすぎることで、
まだどこか現実ではないような。
弟が意識不明ということも、広島まで両親が車を飛ばしているという事実も、
一枚のベールを通して伝わってきているような感覚。

だから、次に来る電話が、「いや~、勘違いやったわ」とか
「病院ついたら目覚ましてたわ~」とかでありますように、という
うっすらとした希望とか、祈りを抱いてるんだけど、
そう思ってる自分の状態自体も、なんだか芝居じみていて信じられない。
そうしている一方で、
「真夜中の電話、というのは、大抵悪い知らせっていうのは本当だな」
とか、
「状況を考えると心筋梗塞の可能性が高くて、心肺停止状態から5分以上経ってたらまずいんだよな」
とか、
「朝になったら、山に行けなくなった事はダンナに伝えてもらわなくちゃ」
とか、
妙に冷静にとらえている自分もいた。

ソファでうつらうつらとしながら、
祈る感情と冷静な理性との間で揺れている夜明け前、
再び電話が鳴った。
今度は母から直接だった。


「…まーくんが…まーくんが、死んじゃったよぉぉ…」
と電話の向こうで、母は泣き崩れた。

2013年9月18日水曜日

一周忌。

2013年9月16日。
弟の一周忌。

前日から、実家に泊まりに行った。
台風の影響で、雨が強くなったり、弱くなったりしていた。

どどどぅっ…と家の近くで流れる用水路の大きな音が、
激しさを増す雨と風を感じさせる。

晩御飯。ビールで献杯。
ちょっと焦げ付いた煮物。パスタサラダ。鮭のマリネ。
実家では、いつもおかずをつまみに酒を飲む。
母が青森の実家で帰ったときに手に入れた田酒をちょっと嘗めた後、
ワインを空けて、とろんと夜が更けてゆく。
父、母、夫と、段々リビングから引き上げてゆく中で、
妹とふたり、グラスを交わす。
日付が変わる頃、明日があるし寝るわ、と流石にワタシも布団に向かう。
もう少し飲むわ、と妹。

少し飲みすぎたかな、気持ち悪いな、と思いながら布団へ入ると、
ふいに、酔いが悲しみを連れて襲ってきた。
横で寝ている夫に気づかれないように、声を殺して泣いた。

しばらくすると、隣の部屋の仏壇の間から、妹のむせび泣く声が聞こえてきた。
開いていた扉を静かに閉めた。

****

一周忌の読経を聞きながら、ぼんやりと思っていた。
何のために一周忌を行うのだろうなあ、と。
だって弟は、四十九日で、一応は仏様のところに行ったわけで。
まあ、もちろん供養の為ではあるのだけれども。

そんな疑問に答えるように、来て下さったお坊さんはおっしゃった。

一周忌は、「小祥忌」といって、もちろん、亡くなったひとの供養もあるけれども、
一年間、こうやって供養を無事に家族みんなが過ごせてよかったね、ということや、
そうやって、少しづつ素直に喜んでも良いことなどをしても良いのだよ、という
区切りのための儀式でもあるそうです。


ということで。
これを区切りに、記録の為に、整理の為に。
一年前の事を、書き起こそうと思う。

なかなか、書く時間がなくて、滞っていて、
見ているひとはほとんどいらっしゃらないと思うけれど。
それだからこそ、のんびり、ひっそり。
これくらいが、ちょうど良い。